MURABITO

人口わずか1000人ちょっと。北海道赤井川村の魅力と、そこに暮らすステキなMURABITOを紹介します。

村の郷土芸能、カルデラ太鼓について。

村の郷土芸能であり、村内で開催されるほぼ全ての行事で披露される「カルデラ太鼓」。村に住んでいればその演奏を見る機会も多く、村にあるのが当たり前のような存在となっています。

 

先日、カルデラ太鼓の指導員である山口克也さんにお話しを伺ったことがきっかけで、カルデラ太鼓の起源について知りたいと思い、少しだけ調べてみました!

 

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明治32年に開村した赤井川村は、昭和54年に開村80周年を迎えました。これを機に村では「心を新たにしよう!」という動きが生まれます。

 

その頃(昭和54年)、明治時代の村を知るお年寄りのお話のなかに『「芸能」というものを生み出す余裕がなかったほどに、人々は日々の生活を過ごすことにのみ明け暮れ、疲れ、郷土芸能は生まれなかった』とあります。

 

そこで、当時の村長、教育長は、郷土芸能の創作を企画しました。当時の村長である岡田秀雄さんは、カルデラ太鼓創立10周年の際「故郷は終生忘れ離れることのできない魅惑をもっているもので それは生みの土 育ての水であり われわれの生命の限り脈々として流れ続けている風土の感触です 生活のなかに共感の潤をもつものをつくりたい いろいろの事情から村を離れる人々もあるであろう このかけがえのない故郷を一層潤のあるものとするため なにか郷土芸能を生み出したいとし 衆知を結集してカルデラ太鼓の創設を目論見たのでした(中略)村を離れても山野に響いた太鼓の音は、赤井川を生涯忘れがたい望郷の思い出にすると感ずるものです」と書き記されています。

 

赤井川村を新しい目で見直そう!という心意気を託すものとして、郷土芸能の創作が始まりました。幼児の頃から玩具として生活の中に浸透しているため親しみがあり、人の心に響きやすいものとして「太鼓」が選ばれ、村の特徴である「カルデラ盆地」という地形にちなんで「カルデラ太鼓」と名付けられました。

 

作曲は「北海道」をテーマに幅広い作曲活動をしていた桑山眞弓さんに依頼しました。昭和55年9月24日、初秋の景色が広がる赤井川村を取材した桑山さんは、その後、第一章「黎明」第二章「開拓」第三章「未来」の三部から編成される「赤井川カルデラ太鼓」を作曲しました。 

 

桑山さんは、カルデラ太鼓創立10周年の際に「これからのカルデラ太鼓に望むことは、郷土赤井川村一村一品の顔として一層の飛躍を遂げ(中略)着実な歩みを続けるよう願って止みません」と書き記されています。

 

曲が出来上がった翌年の昭和56年3月21日より、本当にゼロから(楽譜の読み方から!)練習を開始しました。

 

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同年9月4日、カルデラ太鼓が末永く村民に愛され、更に次世代へ確実に引き継がれることを願って「赤井川村カルデラ太鼓保存会」が設立されました。設立時の会員数は285名でした。

 

同年9月15日には、村内2つの会場で、時間をずらしてカルデラ太鼓の発表会が開催され、それぞれの会場で300名近い村民が集まりました。

 

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カルデラ太鼓発表会

 

その後、カルデラ太鼓は村の行事以外にも、倶知安町の「じゃが祭り」、札幌雪祭り、札幌・月形刑務所慰問等々、全道各地で演奏を行い、「カルデラ太鼓」が全道に知れ渡ると同時に、赤井川村も知れ渡ることになりました。

 

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昭和60年2月11日 札幌雪祭り大通り会場にて

 

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今回記載したことは「赤井川村史」 と「カルデラ太鼓保存会結成十年の歩み」という冊子に書かれています。

 

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これらを読むと、現在カルデラ太鼓に40年近い歴史があるのは、最初の演奏者の方々、そして後継者のみなさんが、仕事に追われながら、寝不足しながら、大変な思いで練習を続けてきたからだということが、ひしひしと伝わってきます。

 

「村にあるのが当たり前」としてしか見ていなかったカルデラ太鼓でしたが、誕生当初は、演奏者の確保、後継者の育成、マンネリ化を防止するため新曲の導入、その度に苦労しながら練習、演奏者が増えれば太鼓の確保、発表の場の確保などなど、紆余曲折を経ていたとは、想像もしていませんでした。

 

本当に赤井川村らしい響きを持つカルデラ太鼓を、これからも村の誇りとして、若い方へと引き継いでいってほしいと思います!

 

 

 

赤井川観光協会

広報 中村