第21回赤井川ジュニアクロスカントリースキー大会、準備編!
明日3月4日(日)は
「第21回赤井川ジュニアクロスカントリースキー大会」が開催されます!
場所は役場前の「カルデラ公園」で10時競技開始となります。
大会前日の今日は、赤井川クロスカントリースキー少年団の保護者の方をはじめ
役場、教職員の方等、全部で30名ほどのボランティアのみなさんが集まり
テント設営やコース整備等を行いました。
午前の様子
いつもはパウダースノーが降り積もる赤井川村ですが
今日は気温が高く、シャーベット状の湿った雪が降っていました。
午後は最長3㎞ のコース整備が行われました。
天候が心配なところではありますが、明日の大会が楽しみです!
赤井川観光協会
広報 中村
「"気軽に楽しくできる習字"を広めたい」書道家、山﨑正義さん
2月22日、村で「字手紙教室」が開催されました。
教室の講師を務めた山﨑正義さんは、元赤井川小学校の校長先生です。
山崎さんは、現在も赤井川小学校の学習支援員として活動されています。
蘭越町出身の山﨑さんが習字をはじめたのは、28歳のとき。
父親から「もっと字をうまくなれ」と言われたことがきっかけでした。
字がキレイになりたい一心で、自宅でも習字を練習し続け
30代半ばになった頃には、人に教えられるくらい上達したため
教師として生徒たちに英語を教えながら、一方で習字も教えていたそう。
その腕前は、40歳を過ぎたころから、年に1~2回個展を開くほどとなり
62歳になった平成23年6月には、アメリカのペンシルベニア州で
個展を開いた経験もあるほど。
そんな山﨑さんの作品の特徴が、まったくの独学で覚えたという「墨画」。
見ているとどこかホッとするような、あたたかい作品がたくさんありました。
本日、100点ほどある作品のなかから選りすぐりのものを
自宅からわざわざ持っていていただきました。
大人になると、筆を持つことも
最近では字を書くことすら、あまりなくなってきている中。
「字がキレイになりたい」という、本当に些細で純粋な気持ちをきっかけに
コツコツと努力を重ねていった山﨑さん。
「作品をかくときは、札幌の街中を歩いて、看板などからイメージをもらったり
インターネットで言葉を調べたり。ガラスに字を書いたりしたこともあるよ。」
元・校長先生ということをついつい忘れてしまうくらい
気さくにニコニコとお話ししてくださり、本当にありがとうございました!
赤井川観光協会
広報 中村
ウィンターフェスティバル&シーニックナイト2018 本番当日
本日、冬のメインイベントである「ウィンターフェスティバル&シーニックナイト2018が」開催されました!!
風が強かったため、ギリギリまで外での開催が危ぶまれましたが
今年はなんとか屋外で開催することができました!!(去年は屋内で実施)
村の人たちが4晩かけて作ったかまくらです!中の壁面はベンチになっています。
今日はとにかく風が強かったので、暖を取る人で賑わいました🔥
一方、イベントで無料提供した豚汁、甘酒などは、村のお母さんたちや
学校の先生、役場、商工会の方々が協力し、朝から一生懸命作ってくれました。
子供たちはもちろんですが、子供たちだけじゃなく大人たちも十分に楽しめるのも
ウィンターフェスティバルの良いところです🎵
イベントへの参加は無料ですが、ゲームに参加するとかなり良い景品がもらえたり
します😊
今回は残念ながら、最も盛り上がるカルデラ太鼓演奏と花火の打ち上げを
見逃してしまいましたが、他の方が写真を送ってくださいました!!
ウィンターフェスティバル&シーニックナイトは
人口が少ない過疎の村の良さがギュッと詰まった、本当にあったかいお祭りだなぁと
しみじみ実感しました✨
赤井川観光協会
広報 中村
ウィンターフェスティバル&シーニックナイト2018に向けて、かまくら作りスタート!
2月17日(土)14時30分から
都小学校グラウンド(悪天候の場合は都小学校体育館)にて
ウィンターフェスティバル&シーニックナイト2018が開催されます!
本日からそのイベント用のための「かまくら作り」がはじまりました!!
こちらがかまくら用に積み上げられた雪山です!
メジャーで寸法を測った後、小型の油圧ショベルで入口を削っていきます!
その後、手で掘っては雪を出し、掘っては雪を出し、の繰り返しです。
かまくらと同時進行で、雪の滑り台づくりと太鼓演奏の舞台づくりも行われます!
実際は測っていないのでわかりませんが、体感温度は-10℃以下くらい。
雪降りしきる極寒のなか、15名の村の有志の方が集まり
18時から21時まで作業を行いました。
ウィンターフェスティバル&シーニックナイトは
村の人の手で作られる、本当にあったかいお祭りです!!
かまくら作りは明日も行われます⛄
赤井川観光協会
広報 中村
「お節介」で幸せを運ぶ、ミリケン恵子さん
MURABITO No3
赤井川歴12年
主婦のミリケン恵子さんです!
約6年前にミリケンさんが始めた 「世界にたった一つの活動」をご紹介します!
【日本の中でも、よりアメリカらしい風景を求めて】
横浜市出身のミリケンさんは、東京でアメリカ出身の男性と出会い結婚。
旦那様の故郷であるカリフォルニアで約1年間生活し、再び東京へと戻ってきた。
2人目に生まれた子供が2歳になった頃。
日本の社会環境に揉まれ、疲れた様子を見せる旦那さんが可哀そうになったこともあり
家族で広い土地へ移って、のびのび暮らすことに。
アメリカのように広大な風景が広がる、北海道を移住先に決め
余市町に移住後、ドライブをしていたミリケンさんは
余市町と赤井川村を結ぶ冷水峠(ひやみずとうげ)からの景色に心を奪われた。
峠から見下ろした赤井川村は、まるで「隠れ里」のようだった。
【「物」でお返しできないという経験】
自宅はできるだけ資金がかからないように、自分たちで建てることにした。
発注した木材が届くと、村の男たちが10人ほど手伝いに来てくれた。
この時、ミリケンさんは初めて
「今までは、誰かに何かしてもらったら「物」で返すことが当たり前だったのに
「物」ではお礼することができない」と感じた。
家づくりを手伝ってくれた村人に対し
どうお礼をして良いかわからなかったミリケンさんに
1人の男性がこう言った。
「次誰か(新しい人が)来たら、良くしてやって」
赤井川では米、野菜全般、卵、牛乳、そして様々な加工品が手に入る。
村内でこれだけ揃ってしまう。
こんな贅沢な生活ができるんだ!と気付いた。
村の人が村外に向けて生産したり、村外で消費するのではなく
村内で生産、消費することで、赤井川が独立して成り立つことができれば
もっと良いのでは、と考えた。
ミリケンさんの「誰に頼まれたわけでもない」活動が始まった。
【愛情に満ちた小さなお店「ひとりCSA妙見SHOP」】
自らの活動を「お節介活動」と呼ぶミリケンさんの活動には
それぞれ独特な名前が付いている。
例えば「あかいがわおかえり便」(平成18年10月~)。
これは、小樽のパン屋さんで買ったパンを赤井川に持ち帰り
定価のまま販売するというもの。
(以前は)パン屋が一つもなかった村でパンを販売すると
子供たちも大人も、みんなが喜んでくれた。
ミリケンさんのことを「パン屋さん」だと信じ
「将来はパン屋になる!」と言ってくれる子供もいた。
そして、ミリケンさんの活動の軸ともいえるのが
移動販売「ひとりCSA妙見SHOP」(平成18年9月~)。
赤井川村に隣接する小樽市に「妙見(みょうけん)市場」という市場がある。
以前は3棟の市場が連なり、全部で100以上の店舗が入っていたが
現在残っているのは1棟のみ。
その1棟だけ残った妙見市場に「ひとりCSA妙見SHOP」はある。
市場の店舗数は、ミリケンさんの店を含めて4店舗となっている。
「ひとりCSA妙見SHOP」で販売しているのは
誰がどうやって作ったか、きちんと分かる商品のみ。
無農薬の野菜、「中身の分かる」お惣菜、地域で作られた手作りのパン、豆腐、衣類、
フェアトレード食材、安全な調味料など。
「頑張っている人に何かしてあげたい」
ミリケンさんの想いが形となった。
たった一人ではじめた「ひとりCSA妙見SHOP」だったが
今では(ミリケンさんが書くミニコミ紙「おむすび」を読んで共感した主婦など)
5名の男女が店舗の運営を手伝ってくれている。
「元来落ち着きがない性格だから、心配事があるとすぐ何かして改善しようと思うの」
ゆったりと落ち着いた雰囲気のミリケンさんだが
その行動力は「落ち着きのなさ」からくるものだと話す。
減る一方の個人商店、高齢化の進む農家。
ミリケンさんの一見「小さな活動」は、それらを失くさせまいと立ち向かう
非常に「大きな勢力」となりつつある。
以上、ミリケン恵子さんの紹介でした!!
今回初めて足を運んだ妙見市場。
古い造りの扉を開け一歩中に入ると、まるで映画のセットに迷い込んでしまったような
不思議な感じがしました。
薄暗く人通りが多いとは言えない場所なのに
「ひとりCSA妙見SHOP」の周りにも、他の3店舗の周りにも笑い声があふれ
温かい空気が流れていました。
日々の生活の中で「これっておかしくないかな?」「不自然なのでは?」と
なんとなく気付いていながら、見てみるふりをしがちな様々なこと。
そんな事柄に疑問の声を上げ、眉間にしわを寄せるのではなく
笑顔で「今の自分にできること」を実行しているミリケンさん。
世界でたった一つの活動を、どうかこれからも続けていってください。
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赤井川観光協会
広報 中村
釣りひとすじ、小山 真さん
MURABITO No2
赤井川歴13年。
遊漁船(ゆうぎょせん)船長
小山真さんです!!
農業が盛んな赤井川村で
(おそらく村で唯一)海を舞台に活躍している方。
今回は、そんなユニークな小山さんをご紹介します!!
【釣りに明け暮れていた、幼少時代】
海も山も川もある自然豊かな土地。
子供の頃「遊び=自然の中で」ということが当たり前だった環境で
特に大好きだった遊びが釣りだった。
釣りのやり方は誰に教わるともなく、遊びの中で自然に覚えていった。
家の近くに港があり、ほぼ毎日釣りをしていた。
小学校2年生の時にはサケを釣り、周囲を驚かせたこともある。
とにかく一度も飽きることなく
釣りの魅力にどんどんハマっていった。
【長女誕生をきっかけに、赤井川村へ】
高校中退後、以前から行きつけだったフライフィッシング専門の釣具店に就職。
釣具店には、芸能人、医者、教授・・・
さまざまな職業のお客さんが来店したが、誰もが釣りが大好きだった。
釣具店に約10年ほど勤めたころ
第一子となる長女が誕生。
夫婦で話し合い、環境の良い田舎で子育てをすることに。
以前から、スキーリゾート「キロロ」へしょっちゅう遊びに来ていたこと
スキーを通じて、村にも知り合いが何人かいたこともあり
移住先は自然と赤井川に決まった。
スタッフを募集していたキロロに応募したところ
通年雇用の仕事を得ることができたため
【人生の岐路となった転職】
キロロに就職後も、大好きな釣りを楽しむため
船を購入し、仲間とともに釣りを楽しんでいた小山さん。
そして数年後。
趣味だった「釣り」を
仕事としての「釣り」に変えるため
遊漁船の運行を決意。
(遊漁船とは、船に人を乗せ、釣り場へ連れていく船のこと。乗客の乗船料が収入となる)
港の使用許可や遊漁船業務主任者の資格を取得、独学で勉強を重ね、
平成25年5月、小山さんは遊漁船の運行を開始した。
【たった一人で挑む、厳しい仕事】
釣りのシーズンは3月後半から10月頃まで。
そのおよそ7ヶ月間の中で、実際海に出られるのは約3分の2。
限られた期間でしかできない、そしてお客さんありきという厳しい仕事だ。
小山さんの船の定員は10名。
船の予約が入っている日は、早朝3時半に起床し
船が泊めてある積丹沖まで車を走らせる。
最も忙しい時期は、朝5~11時半まで、さらに午後12時半~18時まで
ほぼ一日中、海に出ているときもある。
小山さんは、乗客の予約の手配から船の運航、乗船後の片づけまで
全てをたった一人で行う。
小山さんのこだわりは
お客さんに釣りを楽しんでもらうこと。
必要以上に魚を持ち帰らないこと。
「網をしかけて一気に釣りあげる漁に比べ、釣りで得る魚の量はたかが知れてるけど
それでも必要以上に魚は持って帰らない。お客さんに説明して納得してもらった上で
旬の魚でない小ぶりな魚や食べる量以上の魚は、海に逃がす。
先のことを考えて、そうしてるよ。」
大好きな釣りを仕事として挑む姿はカッコよく
羨ましくも映るが、現実は甘くない。
「趣味が仕事になると、そのことが自分をものすごく苦しめる。
でも、どんなに苦しくても、それでも釣りが好きだからやっていける。
そのくらい好きじゃないと、中途半場では趣味は仕事にできないね。」
【赤井川村への想い】
「10年後に村の人がどうなっているか。跡継ぎのいない農家の農地が
どうなっていくか。土、土地を守っていくためにどうしたらいいか。
目先のことにとらわれないで、もっと先のことを考えていくべきだよね。
この先は、もっと『赤井川にしかないもの』『赤井川に行く価値があるもの』
が必要になってくる。」
釣りと同様、村に関しても「まだ見えていない未来」をしっかりと考える
小山さんらしい言葉だった。
以上、小山真さんの紹介でした!!
小山さんは、集客のための営業はほぼしないそうですが
気さくな人柄、心の強さ、そして「釣りが好き」という以上の熱い何かが
相手に伝わることで、自然とお客さんが集まってくるのかもしれません。
後日メールで「釣りの醍醐味は?」と伺ったところ
「やはり魚を掛けてからのやりとりかな?
その魚を釣るまでのプロセスも楽しいですけどね。
又、釣りは狩猟とと同じだと思います。
獲物を狩るのと同じく、狩猟本能が働き世界で一 番多い趣味ではないかと思います」
とのお返事を頂きました。
私にとって釣りは「のんびりしたもの」なイメージだったため
狩猟のような釣りを見てみたいと思いました。
「あなたのことを教えてください。」と
突然申し出たにもかかわらず💦
二つ返事でOKしてくださり
魚の生態系まで詳しくお話ししていただき
本当にありがとうございました!!
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赤井川観光協会
広報 中村
パウダースノーに魅せられた、山田明美さん
MURABITO No1
北海道江別市出身。赤井川歴22年。
道の駅副館長兼イラストレーター。
山田明美さんです😊
様々な武勇伝のある山田さん。
なかなか過去の話をじっくり聞いたことがなかったのですが
山田さんがどんな人生を歩んできたか…
ほんの一部ですが、ご紹介します!!
【幼少期からの夢は漫画家】
物心ついた頃から、漫画を描くことが大好きだった山田さん。
高校、短大では漫画研究部に所属し
学校から帰宅後も夜中の1時、2時まで描き続けるくらい
とにかく漫画漬けの日々を送っていた。
そんな山田さんの描いた漫画がこちら ↓
佳作入賞経験もあり、17歳頃までは本気で漫画家になるつもりだった。
【道内一周旅行中、山の魅力にはまる】
ところが、そんな山田さんの漫画熱が一転する出来事が起きる。
それはある日、当時18歳の山田さんが自転車で北海道一周旅行をしていたときのこと。
旅の途中で出会ったおじさん達に「十勝岳に一緒に登ろう!」と誘われ
その日登頂したときの感動が、漫画への情熱を上回り
山女、山田さんが誕生する。
(ちなみに20歳のとき、自転車で約1年半かけて日本一周した経験もあるそうです。)
【村内唯一のスキーリゾート、キロロに就職】
20代の頃、江別市から千葉県へ移住した山田さん。
ふと、そろそろ地元に帰ろうかな、と思ったところ…
実家にあった自分の部屋がすでになくなっていた😨!!
実家に戻れなくなったため、寮完備の職場を探していると
赤井川村にあるスキーリゾート、キロロを発見し、就職。
当時は「ずっとここで働くぞ!」という気は微塵もなかった。
3ヶ月だけ働いて、お金貯めて、またフラフラしよっかなぁ😊
くらいに考えていた。
でも気が付けば、キロロで17年
なぜそんなに長く??と聞くと、答えは一つ。
「赤井川村の雪質に、とにかく魅せられたから」
当時は雪山に人もほとんどなく、その感動は本当に素晴らしいもの✨だった。
スキー板を履いて山へ登り、傾斜35度くらいから板を担いで登り、そこから滑る。
山田さんのスキー話は聞けば聞くほどカッコよく、爽快で、たくましい。
【とにかくカメ大好き】
そんなパワフルな山田さんの癒しが、自宅で飼っているカメ。
目の前にカメがいても、携帯電話で撮りためている写真に
見入ってしまうというほど、我が子のように可愛がっているカメたち。
【赤井川村への想い】
そんな超アクティブな山田さんが、現在は道の駅の副館長として勤務している。
最後に村への想いを聞くと
まるで自分の故郷を語るかのように話してくれた。
「村は、もっともっと元気ある若い人たちに活躍してほしい!!
だって元気ある若い人、いっぱいいるもん!!
そのためにはまず「村の体質」を変えないといけないよね。
これから若い人が3000人くらい入ってこないと、きっと体質は変わらない。
村で育った子供たちはもちろん、自然が好きな人、ネット環境さえあれば
仕事できる人だっていい。もっともっとたくさんの人に赤井川へ来てほしい。
昔知り合いが、"こんなに海も山も近くて、札幌っていう200万人都市と
隣り合うド田舎って、日本中どこ探してもないよ"って言ってたけど
確かにその通りだと思う。
今村にいる子供たちが、"将来、赤井川に缶詰工場つくるんだ!"って
言い出すくらい、元気のある村じゃないとねー!
高校生になって出て行った子達が、帰ってきたいと思う村じゃないと!!」
と、熱く語ってくれた。
ちなみに道の駅で販売しているお菓子などの中に
山田さんがパッケージをデザインした商品がたくさんあります。
どれも可愛らしく、いい手土産になりそうです。
以上、山田明美さんの紹介でした!!
パワフルさと繊細さ、どちらも合わせ持っているところが
山田さんの魅力の一つ✨でしょうか。
謎めいていた山田さんのこれまでを、ほんの少し知ることができました。
これからも、素敵なMURABITOを少しずつ紹介していきたいと思います🎵
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赤井川観光協会
広報 中村